俺の前に道が在る

 

今年の初め。まだ元号が変わる前。

自分の事が大嫌いで自己嫌悪の蟻地獄の中で藻搔いていたときがあって、

その時に見つけた突破口は

「悩んでいても仕方がないから取り敢えず今は目の前のやるべき事だけに目を向けて直走る事」

だった。

また、星野源がラジオで言っていた

「自分がカッコ悪いな、これは恥ずかしいなと思うことをやらない」

と言っていたことも藻搔いている中での水掻きになってくれた。

 

(ここでのカッコ悪いは、努力することをカッコ悪いと嘲ってるわけではないことぐらいの読解力をこれを読んでる方々は持ち合わせていると認識してます。)

 

でね、ついでに加えるとするならばその突破口に「誰の方向も見ない。誰とも比べない事」を信条にしてた。

誰かと比べちゃうから自分が嫌いになる訳で。

自分でしかない自分を創って行って、俺しか進めない道を築いていく事を始めた訳です。

 

転職もして、給料は下がったけどやりたい職に就けて。

地元に帰っているから友達にもすぐ会えて、興味ある人のライブにも行けて。

な感じで、今年の初めには想像もしてなかった自分になれてるわけで。

だけどこれから。もっともっと輝く未来の為に道を全速力で駆け上がるんだ俺は。

他人の評価を気にしなくなると本当の意味で人は無敵になる。

ネットのくだらないゴシップも話半分で聞ける。

 

この記事を書いた当初、書こうと思ってたマイナスなことも、やっぱいいやってなった。

 

がんばれドカベン

 

努力信仰みたいなのはあんまり好きじゃあないから、

 

自分が何か頑張ってるところを露骨にアピールすることをちょっとカッコ悪いなって思ってて、

 

そういうのは気づいた人だけ見てくれればいいし、

気付かれなくても自分で自分の頑張りを褒められるくらいはできる。

 

でね、なりたいのは、誰かがそういった"言わない頑張り"にちゃんと気づいてあげて褒められる人。

そのために出来ることって何だろうね。模索中。

絵に描いた餅をのどに詰まらせた男と僕


2年くらいまで、僕のyoutubeの再生リストをSyamu_Gameが席巻していた時代があった。
彼の突拍子もない発言やトリッキーな編集、そしてそれに反応する俺オナ民のコメントをみては
ケラケラ笑ったりしていた。

時はたって2019年、「オモシレッ・・・オモシレッ・・・」の言葉を最後にインターネットの世界から姿を消していたsyamuが復活し、俄かにインターネットを騒がせた。
そのうえ、相も変わらず何やら大揉めしているらしい。
代理人争いや大学のsyamuサークルなる存在。UUUMやゆゆうた兄貴、果ては議員にまで厄介をかける有り様。
それに波及したsyamuサークルの内部ゲバルトなど、

一連の情報はtwitterやゆゆうた兄貴の生放送アーカイブで入手したものであり、不確かな情報も多いかもしれないが、
一通り閲覧して、昔ほどこの旋風に興味を持てなくなっている自分に気付いた。

あまりにしょうもなさすぎる。

どうしてだろう。後方確認や「やっぱ紹介するのやめとくわ」などの時はあんなに面白かったのに。
時がたってsyamu__gameも変わってしまったのだろうか。

と思っていたが、もしかしたら変わったのは僕の方かもしれない。

2年前、薄々勘付いてはいたがSyamu_Gameを見て僕は自分自身の自己肯定感の低さを補っていた。

俺オナ民と一緒に道化師syamuにツッコミを入れることで、「僕はまだちゃんとした人側の人間だ」と安心していた。

しかし、2年たってそれはもう効かなくなった。
syamuなんかを相手にするような僕じゃなくなったのだ。

少し寂しい気もするが、成長と捉えよう。

コロコロコミックや少年サンデーを卒業したように僕は、syamu_gameから卒業していたのだ。

むろんそれによってを下に見たり、「お前らとは違う」みたいな態度をとる気はない。ただそういった事実がそこにあるだけだと思っている。

そんな暇があったら、僕は自分の好きなものに全力で意識を傾けていくと思うので。

ひとつよしなに。

内省と懺悔室

好きな人に振られてからずっと、自己嫌悪の沼の底にいた。


自分で自分が嫌いで、駅のホームっ電車を待ってる時に
「このまま知らない誰かが自分の背中を強く押してくれたら、楽に死ねるだろうな」
みたいなことを線路を眺めながら考えたりもした。

 

とある日、よく行くスナックで「自分が嫌い」みたいなことを相談してみた。

振られたことは伝えずに。

 

返ってきたた答えを要約すると、「自分を認めてあげることが大事。かと言って開き直る事とは違うし、認められるような自分になる努力はしなくちゃいけない。」との事。

 

今まで、自分に自信がないからか、他人から自分を幸せにしてもらおうだなんて考えてて、
でもそれって結局自分で幸せになる努力を怠ってたに過ぎなくて、
自分の人生は自分でしか良くできないってことに気付くのにだいぶ時間がかかったなぁ。


挙句の果てに大事な友達まで失くしちゃって。

 

自分が幸せにならないと人を幸せにできないってことの意味がやっと心の底から理解できたような気がした。


それに気付けたから、今は自分の思う範囲で自分の人生を良くしてこうと思う。
その中で、またあの子と巡りあえたらいいな。

 

友達が言っていた「スナックって教会みたいなもんなんだね」って言ったことは、

確かに言い得て妙だった。

2019年の生き方

 

最近自分に課そうとしているテーマに関して、

「納得して自分の人生を生きれるようにする」

ってのを思いついた。

 

というのも、最近どこか、「自分の人生を生きている」という実感が薄れているように感じるからである。

なんていうか、「自分がない」ように感じる。

そもそも自分ってなんでしょうね。

サカナクションで言うところの、まさに「アイデンティティがない」状態である。のかもしれない。

仕事も楽しくない。土日も寝て終わる。20代でこんなんでいいわけがない。

 

先日の件から自分を見つめなおした結果、見つめなおす自分がないという事に気付いたというオチ。

 

とりあえずの手始めとして、使ってる財布と腕時計を一新した。

特に財布はマネークリップと小銭入れを使うことにした。

特にブランドとかのこだわりはないけれども、持っているだけでなんとなくスマートな人になったような気分がしてよい。

お金の使い方も見直して、ちゃんと貯めるようにもしようと思う。

せっかく銀行口座も二つあるんだし。

ちゃんとした人へのステップを踏むんだぞい。

2019前半の最終目標として転職が出来たらなぁ。って思うよ。

あとおもしろそうだからカウンセラーとかいってみようかな。わらい。

 

振られちった。 振られ散った。

 

友達に告白した。

 

今思えば完全に勢いだった。

 

当初の返事は「今恋愛するって感じじゃないんだよね」とかなんか、そんな感じ。

 

今日ラインが来て、

「いろいろ考えたけど付き合えませんごめんなさい。

はっきり言ってくれてうれしかったありがとう。」

 

はぁあああああああああああああああああああああああん

 

なんとなく原因はわかる。わかっていた。

自分を客観視できてないんだよな。

相手の気持ちを考えないで、一方通行で相手に好きだ好きだ言っちゃって。

相手からしてもいい迷惑だよな。困ってんの分かってたじゃん。

何回かあったんだけど、一回人のことを好きになるとガーーーっとなっちゃうんだよね。

そこを治さないとほんとにいけない。

そう考えた矢先に振られたっていうね。

 

とりあえず、今はちゃんとして、しっかり向き合って自分のレベルを上げていこう。

 

でも初めて自分から告白したよなぁ。まぁ本当に好きだったし。

 

そんなわけで今の自分に必要なのは、落ち着いて、自分を客観視できるようになって、自信もつけること。ですね。

ぬるま湯のこわさ

親が過保護気味だなぁって思ったことが何度かありまして。
今現在は僕は一人暮らしをしていて少なからず自立した生活を送れているわけだけども。
おそらくもしもずっと実家にいたならば、親は何でもしてくれて、楽だっただろう。
だけどそれは同時に僕をスポイルさせる恐ろしい呪いでもあると思う。

 

過保護の目的って「私がいないとこの子は何もできないから私がやってあげてる」
っていうのを(無意識かどうかはともかく)自分で認識したいがためにやっていて、
その結果やられたほうは自分じゃ何にもできない木偶の坊に出来上がる。
実際そのことに気づいて自分で服とかを選ぶときには結構苦労したし。
大学生になっても親に服を買ってもらっているのがすごいコンプレクスだった。
だからってそこから抜け出せない自分にも辟易していた。
これからはほんと、自分で選択する機会をどんどん増やしていこうと思う。

 

あと本当に怖いのは過保護って虐待と一緒で遺伝するらしくて、
僕にも潜在的に束縛とか過保護とか見たいな一面を持ってるかもしれないってところ。
別に「彼女が出来たらその子のスマホからほかの男の連絡先は消してほしい」
とかそういうレベルではないけれど、自覚がある分気をつけれるので、頑張っていきたいと思います。