何者

あんまり自分で言う事でもないけれど、学生時代、自分は顔が特徴的な事もあり、「おもしろいキャラ」てきな立ち位置にいた。

 

それもあってか、自分は人気者だという思いあがった自覚があった。

まぁ社会人となった今はそんな幻想からは醒めてるんだけどもね。

 

先日Twitterで「ほめて箱」なるサービスがあるのを知り、使ってみることにした。

質問箱の要領で、匿名でフォロワーから褒めてもらえるという自己顕示欲丸出しのサービスである。

 

ちょっとやってみたくなって、2日ほどたって反応を見てみると、集まったのは二件。

その2件とも、前述の特徴的な顔について書かれたものであった。

 

別に顔の特徴的な事に関しては自分もネタにしてるくらいだからいいんだけど、

もっと内面とか、踏み込んだことが来るんじゃないかという淡い期待があったのでちょっとショックだった。

 

あぁ、僕が思っていた人気があるっていうのは、ただただ表面上の面白さであったり、そういう部分でしかみんなから見られていなかったんだなぁという事を改めて再確認した。

 

それでも、僕に深くかかわって一緒に遊んでくれる友人や。飲みに誘ってくれる友人には本当に感謝してもしきれないなぁとか思ったりします。

 

で、逆に思うのは僕は他の人に対して深くかかわるように接せているのかどうかってところですね。

別に周りを見下してるとかじゃなくて、僕が懐には入れてるって言える人は何人いるんだろうかって思ったりするわけですよ。

 

そう考えると、ちょっとぐうの音も出なくなってしまうんですけど、

これからそういうことを考えるきっかけにもなったあたり、ほめ手箱をやってみてよかったなって思います。

エッセイ的な文章を書いてみたり

冬が好きである。

 

理由はいろいろあって、

まぁちっちゃいころによく親にスキーとかスノボに連れて行ってもらったりして

思い出深いのもあるし、

クリスマスとか新年とか、一年の中での重要なイベントがあったりして寒くなってくると自然に心がワクワクするような感じになったりするのもあるし、

暑いところから涼しい部屋に行くよりも

寒いところから暖かい部屋に行く感覚のほうが好きだったりとかあるんだけど、

 

特に空気が澄んでいるような感じがして、

夜の空気が透き通った感じ。星月が一番きれいに見える季節なことが一番だったりする。

 

特に僕は今ド田舎に住んでいるので、周りの明かりも少なく、月が明るければ月明かりで影ができるし、

月が見えない時は星の揺らめきも確認できる。

オーストラリアに留学中のいる友達と夜に電話をしたことがあったけど、

お互いに一つの月を見ながら会話してた瞬間があって、

すごく遠くに離れてても同じものを見てるって事実がなんかすごく不思議で、すごくうれしかった。

まぁそれは冬の話じゃないんだけどね。

 

あと去年くらいから煙草を吸い始めて、

部屋の中だと壁が汚れちゃうから窓を開けて縁側?的なところに座って吸うんだけど、

背後からの光に照らされた煙が真っ暗な夜空に上っていく様を何も考えないで見るのがすごい好きなんだよね。

空気が澄んでるとか言いながら汚い空気を吸ってる話をしちゃってるわけだけども。

 

まぁそんな感じで、これから僕の好きな季節が始まるわけです。

 

ふとした時の覚書。

思ったことをそのままメモに書いただけの謎文章。

 

何してる時が楽しいんだろう。

残念ながら仕事をしている時ではない。

逐一挟まれる広告にイラつきながら無料アプリのゲームをやってる時ではない。


友達と話しているときは楽しい。ここでの生活のほぼ唯一の救いといっても過言じゃない。

けどそれは依存じゃないかなとも思う。自分で楽しみを創り出せないのかよと。

あぁ、東京帰りたい。


結局何もしないままずるずると手遅れへの下り坂を転がっていくのはさすがにキツイ。
25歳、大事な時期だって事を忘れちゃあいけない。
会社はお金こそ頂けるが、僕の人生についてどうこう言う事はない。
当たり前だけどね。
自分で、後悔しないような人生を切り開かないといけないんだ。

けど僕がやりたいことってなんだろう、
その為に進むべき道ってなんだろう。

彼女欲しい~とか思うのも人のSNSを見て漠然と自分に焦りが芽生えてるだけのことかもしれない。
それこそむやみに作って重荷になっちゃったら本末転倒でしょ。

結局話はまとまらないね。貿易の勉強再開します。

仕事選びにおいて考えるべきは”何をして喜ばれたか”とか、”自分は何で役に立てるか”

の面が重要らしい。

難しいナァ。

人生について考えたりラジバンダリ。重たい話。

身近な人が無くなった。

 

仕事で数回お会いした程度の中ではあるが、

僕はその人をとても尊敬していた。

 

どこかテキトーそうに見えて、でもしっかり仕事しちゃって、上司からの評判もいい。

上司とその人(岡本さん(仮名)とします)と数人を交えた飲み会、いつもはだるくてしょうがなかったが、その人と話してるときはとても楽しかった。

厳しい上司に打ちひしがれていた僕だったが、その気持ちを汲み取ってくれる数少ない一人で、僕にとっては誇張ではなく本当に救いだった。

 

あんなふうに、下の人の気持ちを汲み取れる人になりたい。テキトーそうに見えながらもちゃっかり仕事はできてる人、それを目指したい。今までそう思いながら仕事をしていた。

 

岡本さんの訃報を聞いたのは、事務所で上司が電話しているのを横で聞いていた時だ。

 

「○○のチームの作業員がひとり亡くなったらしいな。」

 

聞いていて、特別何も思わずふぅんとだけ思っていた。

そうなんだぁ。くらいの感じで。名前を聞くまでは。

 

そのあとの続きで上司が亡くなった人の名前を尋ねた。

 

「あぁ、岡本かぁ。だいぶ前にあったことあるなぁ。

確かだいぶ若かったよなぁ。27歳くらい?」

 

 

え、

 

 

聞いていないふりをして適当に売ってたキーボードの手が止まった。

まさか。あの岡本さん??

 

頭の中で岡本さんと話した記憶がフラッシュバックする。嘘であってほしい。

 

こっそり形態を出して、最初にあった時に交換したラインのトークルームを久しぶりに開く。

最後のメッセージは皮肉にも岡本さんからの「体に気を付けて、お仕事頑張ってください」というメッセージだった。

 

「岡本さん」

 

一言だけメッセージを送ってみる。その既読はいまだについていない。

 

あぁ、本当に亡くなってしまったんだ。もう会えないんだ。

 

泣きこそはしなかったが、とてもやるせない気持ちになった。

聞くところによると、風呂場で急死したらしい。詳しい原因は聞いていない。

 

彼の人生は、27歳というあまりに短すぎる期間で幕を閉じた。

 

本当に、人はいつなくなるかわからない。

80歳まで生きるなんて保証はどこにもないのだ。

 

不謹慎かもしれないが、今の自分は、明日死ぬとなっても納得できるような人生を送れているだろうか。

やりたい事や、会いたい人、書き出せばキリがない。

いや、僕なんかよりも、失礼だが僕の会いたい人たちが、その機会が来るまで元気で生きている確たる保証はない。

 

石の上にも3年なんて言ってられるほど暇な人生じゃないな。

 

岡本さん。お疲れ様でした。今更になって言うのは本当に卑怯だとわかってはいますが、もっと色々お話したかったです。

これからも僕は岡本さんを目標にしていきます。

 

おやすみなさい。

 

ドラムとの馴れ初め

僕は中学1年生のころから13年間、現在進行形でドラムをやっている。
ドラムを通して、ひいては音楽を通していろんな人と出会い、いろいろなことを学んできたと思っている。

自分にとってドラムは、アイデンティティーの拠り所とも言えるくらい、大切なものになっている。

そんな僕とドラムとの出会いは小学校を卒業する間際の事だった。
小学生時代、僕はこれといった趣味はなく、熱中しているものと言ったらゲームとかベイブレードとかそんな感じのどこにでもいる普通の奴だった。
小学校から中学校はほぼエスカレーター式で上がるので、その際に面接があったのだが、
「中学に上がったら何部に入りたいですか?」という質問にもう俯くばかりで答えられなかった。

そしていよいよ中学校に上がる直前に、吹奏楽部の演奏を見る機会があった。
QUEENの「We will Rock you」の吹奏楽アレンジを演奏していたのだが、
小学校のころから仲が良かった2つ上の先輩が吹奏楽部でドラムを叩いていて、
その姿に衝撃を受けた。

かっこいい。

それから少しして中学に入り、友達といろいろな部活を見て回る中で、僕はどうしても頭からドラムが離れなくなっていた。
中学校でドラムを叩ける部活は吹奏楽部しかないらしく、僕は楽器庫の扉を開いた。
一番奥でドラムを練習している部員がいる。

僕はすぐさま入部を希望し、打楽器パートを希望した。

当時はかなり緩い吹奏楽部だったので、僕の希望はすぐに通り、打楽器奏者への一歩を踏み出したのである。

あれから13年、あの先輩が今でもドラムをやっているかはもうわからないが、
あの人のおかげで今の人生があるといっても過言ではない。

僕はドラムで誰かにそんな影響を与えたことはあるのだろうか。
実際のところ分からないが、これからそういう風になっていけたらいいなと思う。

グランドスラム

だいぶ前の話ではあるけれども、

会社の昼休みにテレビのワイドショーが流れているのを聞いていて、

大坂なおみ選手がテニスのグランドスラムを達成したことが取り上げられていた。

完全アウェーのなか強敵であるセリーナ選手を撃破し、

観客からのブーイングを受けながらもセリーナ選手を讃えるコメントを残したことである。

スポーツに関してパワハラ問題のニュースが続く中、久しく入った明るいニュースに

さまざまなメディアが盛り上がった。

 

 

会社で流れていたワイドショーもその一つではあるが、

ひとつ違和感を感じたのは

試合後にセリーナ選手を讃えたことに関して、やたら

「日本人らしい謙虚な姿勢だった」

と司会がコメントしていたことである。

何回も言うもんだから頭にこびりついてしまった。

逆に大坂なおみ選手を使って「日本人は謙虚」であることをアピールしたがっているようにも感じとれてしまった。

確かに、僕が20歳の頃にあんな丁寧な事が言えていたかどうかと考えるとその素晴らしさは分かるが、

それを「日本人らしい謙虚な姿勢」というのは多少無理があるのではないかと感じた。

 

別に日本人がどうで●●人はどうみたいな、特定の民族を丸ごとカテゴライズして批判するといった思考停止丸出し意見を言うつもりはない。

そういうのは中学生の時に卒業した。

 

ただ、なおみ選手があの場で涙ながらにセリーナ選手を持ち上げるスピーチをしたのは、

日本人だからとかではなくて彼女自身の人間性が素晴らしかったからだと僕は思う。

 

 

大坂なおみは日本人だアメリカ人だ国籍はどうだとか騒ぐ界隈がいるが、

彼女の優勝とは全く関係ない。

実際インタビューで「なおみ選手のアイデンティティーは日本にあるの?それともアメリカ?」みたいな質問を投げられたときに

「私は私」と答えたたという。

彼女の目線は日本人とかアメリカ人とかそういう線引きを軽く飛び越えている。

 

「日本人は謙虚」のアピールをしたいがために彼女を日本人だって言って騒ぐんだったらそれはすごくダサくないかと感じた。

どういうつもりで司会の方が言ったのかは解らないが、「日本人は謙虚」って言われたいんだったら一人一人の行動で表さなきゃっていう話ですよ。

誰かにアピールしてもらうもんじゃないと思うんですよね。

別に今の日本がどうたらとかじゃなくて、

これを機に自分の言動を省みて、もっとしっかりしなきゃなって個人的には思いました。


まぁワイドショーなんてニュース面したバラエティ番組なので真面目にみるもんじゃないんですけどね。
サンデージャポンと5時に夢中は何故か安心して見れる。バラエティに振り切ってるからかな。

 

っていう、昼休みの出来事から思案を巡らせた結果でした。

いざ行かん

最近、ボーっとしてると過去に戻れないもんかなぁと思いを巡らせることが多い。
タイムリープの願望がある。

主に中学生あたりからやり直せたらなぁと思う。
あの頃ああしとけばとか、もうちょい勉強しとけばとか、
中学のころから今に至るまで何も考えずに生き過ぎた。
ちょっと自意識過剰かもしれないが、
今の状態で時間だけ中学生時代に戻せたら、現在(25歳)になるころには、今よりも人生がよくなっているように思う。

でも、この状態で生きてきた今があるからこその恩恵もあることは間違いないだろう。

地方に飛ばされてるからこそ一応一人暮らしを謳歌しているし、
なかなか会えないからこそ友人をより大切に思うようになった。
…。まぁ。どっちがいいんだろうね。これからも後悔を重ねながら生きていくんだろうなぁ。

とか思ってたら何も始まらない。
戻りたい気持ちは胸いっぱいあるけど、今の自分にできることは
これからの人生で公開の内容な選択を繰り返せばいいだけの話だ。
優柔不断を捨てて、自分の人生をこれから生きていけばいいんだ。
そう思うと、なんだか少しだけ胸が軽くなったように思えたし、
なぜだか苦手な上司との間にある氷山も最近少しだけ溶けてるように思えてきた。そんなことなかった。